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アルカディ修道院からエレフセルナに抜け、イラクリオ方面に向かっていたときに、道路地図に洞窟の記号を発見し、この洞窟に行ってみようと言うことになった。ギリシャでは初めての洞窟観光。ところが、地図を見ながら車を走らせても [...]
アルカディ修道院からエレフセルナに抜け、イラクリオ方面に向かっていたときに、道路地図に洞窟の記号を発見し、この洞窟に行ってみようと言うことになった。ギリシャでは初めての洞窟観光。ところが、地図を見ながら車を走らせても、どこか行ってる方向が違う。村に入る時には標識があって分かるが、その村の位置を地図で確認すると目標とするメリドニ洞窟の方向とはまったく違う方向にある。ペラマがメリドニに向かう大きな目印なのだが、このメリドニの周辺をグルグルと回ってしまっているようだ。村に入る標識が見えたら、車を止めて地図と、そして太陽の方向と時間を確認するというアナログな方法でやっとのことペラマまでたどり着き、そこからメリドニに車を走らせる。ペラマまで迷っていたのとは正反対に、メリドニまでの道は分かりにくい分岐もなく、洞窟までの標識もきちんとあるので迷うことなく洞窟に到着。メリドニ洞窟は、メリドニの村の外れ1.8kmのところにある。この道は行き止まりになっていて、メリドニ洞窟観光のために作られた道のようだ。
チケットは3€。ギリシャの観光地でチケットを買うともらう小さなパンフレットではなく、でかいサイズぐらいのパンフレットを渡される。チケット売り場の横の階段を下りて洞窟に向かう。洞窟の大きなホールにでるとそこから二つの方向に洞窟が延びているが、その先は立ち入り禁止になっている。そしてその大きなホールには、ギリシャの旗をかけた棺が二つ。
メリドニ(ゲロントスピリオス)洞窟からは、新石器時代の石器や、後期ミノア時代、幾何学時代、ローマ時代の土器が見つかっている。また、この場所が崇拝の場所だったことを示す、後期ミノア時代の灰と炭の堆積や紀元前1700年頃の土器も発掘されている。みつけることはできなかったが、ローマ時代、ベネチア時代の落書きが、19世紀から20世紀の落書きに混じって残っているそうだ。メリドニ洞窟は、メリドニ遺跡とも言えるぐらい古くから人の営みとともにあった洞窟だ。紀元前3世紀、ギリシャ神話に登場するタロスの崇拝の場所だった。タロスの伝承・神話については変種がいろいろあるが、巨大人造人間でヘファイストスがキュクロプスの手助けを受けて作りミノア人に贈った、あるいはゼウスがエウロパに贈ったとされている。タロスは一日に2回(3回とするものも)クレタ島を周回して見回りをし、外敵を監視し、侵入者には、石を投げて追いやったり、火に身を投じて熱して抱きついて焼き殺したと言われている(いやはや、恐ろしい)。この場ではタロス崇拝が、ゼウスやヘルメスの崇拝と結びつき、ゼウス・タレオス、ヘルメス・タレオス崇拝となった。
洞窟の大きなホールにある棺。これはギリシャ独立の悲劇のモニュメントでもある。1823年10月2日から3日にかけ、トルコ兵から逃れた370人がこの洞窟に逃げ込む。トルコ兵は洞窟の入口で火を焚き、洞窟内に非難していた村人は窒息して死に至る。生き残ったのはわずか1名。このときの遺骨が後に集められ棺(骨壺というほうが正しいかも)の中に収められている。この場所は、“Hall of the Heros(Heros Room |Κήπος των Ηρώων)”と呼ばれている。奇しくもアルカディ修道院を訪ねた同じ日に、ギリシャ独立にまつわる悲劇の場所を訪れることになった。
メリドニ洞窟は大きな洞窟ではない。でも、紀元前から現代に至る人の歴史がある場所である。その密度は濃い。迷いながらもあきらめずにたどり着くことができてよかった。
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